横浜FC13年ぶり昇格 キングカズ再びJ1舞台へ



おめでとうございます。

横浜FC13年J1昇格

キングカズ再びJ1舞台へ

残る言葉

モチベーションについて、「情熱があるから」とするカズの言葉

実行に移すカズの背中

ふてくされて落ちていく選手はいなかった。

情熱、夢、希望 いつももっていたいものですね。

キングカズ こと 三浦 知良 選手の経歴です。

1986 ブラジル  サントス
1986 ブラジル  パルメイラス
1986 ブラジル マツバラ
1987 ブラジル CRB
1987-1988 ブラジル  キンゼ・デ・ジャウー
1989 ブラジル  コリチーバ
1990 ブラジル  サントス
1990-1998 日本  読売クラブ/ヴェルディ川崎
1994-1995 イタリア ジェノア
1999 クロアチア  NKディナモ・ザグレブ
1999-2000 日本 京都パープルサンガ
2001-2005 日本 ヴィッセル神戸
2005- 日本 横浜FC
2005 オーストラリア シドニーFC

2006年2月からは横浜FCの選手兼任の監督補佐に就任

なにより、記憶にのこるのは、

1993年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会予選。

1次予選で9ゴール。最終予選では4ゴール。エースとして活躍した。

韓国戦での決勝ゴールは、
日本サッカーが40年間超えられなかった韓国を、
ワールドカップ地区予選で初めて破ったという伝説的ゴールでした。

しかし、最終戦のイラク戦でロスタイムに 「ドーハの悲劇」 で

同点にされ本大会出場をあと一歩のところで逃した。

このことについて、

カズは「(センタリングを上げられた)瞬間、やばいと思った。
スローモーションのように球の軌道が見えた」と

著書『おはぎ』で語っている。

ゾーンにはいっていたんでしょうね。

もう一つは、 フランスW杯。

1997年6月22日、仏W杯アジア1次予選グループ4第4戦マカオ戦で
6得点。

1997年9月7日の仏W杯アジア最終予選B組初戦の
ウズベキスタン戦でこそ4得点を挙げた。

その後ゴールを挙げられず勝ちきれない試合が続いた。

カズ代表不要論が高まり、予選自力突破が消滅した国立競技場での
UAE戦の後には暴徒化した一部サポーターに罵声を浴びせられた。

いいときは、カズのおかげ。

ダメなときは、カズのせい。

とにかくカズなんですよ。

アジア第3代表決定戦のイラン戦で、
2トップを組む中山雅史と共に交代を命じられた。

この時カズが「オレ?」と自分を指差したことが話題となった。

交代板には11番が先に出たので、
「ゴン(中山雅史)なのか? 俺なのか? どっちだ?」と
岡田監督に確認を取るためのジェスチャーだった。

一般的には「まさか俺を交代させるのか?」という
アピールだとマスコミに解釈をされてしまい、
誤解を受けることとなった。

予定外の交代は、試合前のミーティングでの
「FKは中田もしくは名波が蹴ること」との
岡田監督の指示を無視して
カズ自らが蹴ったことで「少し感情的になってしまった」と
後に岡田監督は述懐している。

そんなのだめですよね。

1998年、ワールドカップ本大会に臨む代表候補25人に選ばれ、
スイスでの直前合宿に参加する。

北澤豪、市川大祐と共に、本大会出場メンバーの選考から漏れ、
苦渋の帰国となった。

その後、日本代表はアルゼンチン・クロアチア・ジャマイカと
同組になったW杯本戦を1次リーグ3戦全敗、
僅か1得点という結果で終えた。

岡田の采配や判断は議論を呼んだ。

勝っても、負けても、カズがいないとだめなんですよ。
それは、日本サッカーのためでもあります。

岡田 采配は、そこを理解してなかったと思いますよ。

ほんとに。

今後の活躍に期待しよう。