日光さる軍団 ともきりき

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いやー、ほんとに会話しているようですね。

こちらのお二人は、日光さる軍団 ともきりき さんのコンビです。

りき君のインタビューでは、

好きな食べ物は、にぼし

苦手なものは、あずき

性格を一言でいうと、表裏がある

休みの日は何をするのが好き、友達と毛づくろい

相方の好きなところは、タレ目

相方に直して欲しいところは、女好き

なかなか、いい回答ですね。

お二人のコンビ結成は、2012年。

りき君の誕生は、2010年です。

2020年では、りき君10才。結成8年のコンビです。

ともきりきさん コンビのツイッターは、

そもそもさる軍団とは

そもそもの、日光猿軍団は、
栃木県日光市に本拠地を置く猿まわし団体、
その公演を行なうテーマパークでした。

株式会社間中屋が経営していましたが、
2013年12月31日に猿の高齢化などを理由に閉園。

2014年10月4日から2015年3月20日まで日光猿軍団記念館として
施設展示のみの営業を行っていました。

そのはじまり

日光江戸村内で土産物店を経営していた間中敏雄氏。

テレビで周防猿まわしの会の猿まわし芸を見たことがきっかけで、
1984年に独学で2匹の猿に芸を仕込んだことから始まる。

1990年に愛知県犬山市の日本モンキーセンターから、
13匹の猿をもらい受け、「日光猿軍団」を結成。

1991年に、埼玉県越谷市で「お猿の学校」の公演を開始。

1992年1月に「お猿の劇場」を兼ねた、
猿のテーマパークとして日光猿軍団を現在地にオープン。

演劇場での活動はもとより、動物番組を中心にテレビに登場、
テレビCMの継続的な出稿やタイアップ映画の製作など、
創業者兼校長である間中敏雄のキャラクターともども、
1990年代には、一世を風靡したのでした。

東日本大震災 で

2011年3月に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が発生。

このときの調教師は、修行のために住み込みで働いていた韓国人・中国人が、
中心であった。

放射能汚染を危惧した親の呼び寄せなどがあり、
帰国・離職することになった。

後継者もなく、放射能汚染の風評被害から来園者も激減。

2013年に入り、好物の果物を口にしなくなる程、
疲労した高齢の猿の姿を間中社長が見て、
同年限りで閉園することを決断。

8月に発表。

12月21日に「お猿の学校 卒業式」を行う。
間中校長が生徒の猿たちを卒業させた。

翌日から12月31日までは間中校長が卒業した猿たちの進路相談、
猿軍団の往時を振り返る「最終公演」を行い、

当初予定通り12月31日大晦日の最終公演で猿軍団は解散宣言をし、
施設も閉園となりました。

その後は

日光猿軍団の解散後、
間中屋は別途経営していた、神山温泉オートキャンプ場を
「日光まなかの森」に改称。

同施設の運営、干し芋「いも学校」の製造販売を行っていました。

日光猿軍団の施設で、
飼育場や猿軍団の軌跡などを公開する
「日光猿軍団記念館」を開設するとアナウンスされており、

2014年10月4日に復活した。

お猿の芝居はないものの、
劇場内で間中社長の半生と日光猿軍団の開園から解散までを、
ダイジェストにした約25分のビデオ上映が行われ、

数多くのお猿の衣装や写真・賞状の展示やバックヤードツアーが実施されていた。

そして、さる軍団に

日光猿軍団とライバル関係にあった猿回し師村崎太郎さんが、

「後継者がいないなら私たちに任せて欲しい」と間中社長に申し入れ、
1年半に及ぶ交渉で、

2015年3月に村崎が日光猿軍団の土地建物を買収することで合意。

劇場で記者発表を行った。

これに伴い、「日光猿軍団記念館」は3月20日を以て閉館。

間中の手を離れて同年4月29日に『日光さる軍団』として開業。

『さる軍団』では太郎次郎一門に所属する猿のみで構成。

従来からいた日光猿軍団の猿は高齢化もあり関わっていない。

一方、間中社長の次男・間中利美さんも神戸モンキーズ劇場との契約を満了、
2011年に栃木県に戻り、「モンキーエンターテイメント」を立ち上げ、
代表兼チーフトレーナーとして活動しています。

そして今は

日光さる軍団 OSARU LAND ホームページ

経営している会社 株式会社モンキーエンタープライズ ホームページ

日光さる軍団 公式ツイッター 

間中利美さん の モンキーエンターテイメント  ホームページ

間中社長の 日光まなかの森 ホームページ


みなさんそれぞれの人生ですね。やまありたにあり。
これからも、ぜひ笑顔を届けられますように。

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